WWDC26: フィロソフィーとしてのHIG

WWDC26: フィロソフィーとしてのHIG

HIG小史

Human Interface Guidelines (HIG)は、Appleプラットフォームにおける、人間とコンピュータの対話方法に関する基本設計の指針を示す重要な文書です。その始まりは半世紀前の1970年代、Apple Ⅱの時代まで遡り、Macよりも長い歴史を持つAppleの伝統となっています。確認できる限りで一番古いHIGは、1977年から1978年ごろに書かれたBruce Tognazzini編纂版で、これはDigiBarn Computer Museumの刻印があるPDF文書をオンラインで見つけることができます。Bruce Tognazzini (Tog) は、初期のAppleHuman Interface Groupを設立した人物、そしてNielsen Norman Groupの設立者としても有名です。

“The Apple Ⅱ Human Interface Guidelines (Pre-release Version)”。DigiBarn Computer Museum刻印版のPDFより。
The Apple Ⅱ Human Interface Guidelines (Pre-release Version)”。DigiBarn Computer Museum刻印版のPDFより。

その何年か後の1987年には、Macintoshに対応した『Apple Human Interface Guidelines: The Apple Desktop Interface』が出版されています。エッシャーの絵画『描く手』のような特徴的な表紙をしているので、見知った方も多いのではないでしょうか。これには和訳も存在していて、1989年にアジソン・ウェスレイ・パブリッシャーズ・ジャパンから最初の日本語版が出版されたのち、しばらくして2004年にも新紀元社版として一度復刻しています。どちらも現在は絶版となっていて、中古市場でもなかなか手に入りにくくなっています。

本稿表紙の画像は私のHIGコレクションの一部で、どれも貴重なものです。左から1992年版『Macintosh Human Interface Guidelines』、1987年版の原著(英語版)、その日本語版(新紀元社、2004)です。

『Apple Human Interface Guidelines(日本語版)』の表紙。原著が1987年、旧日本語版=アジソン・ウェスレイ・パブリッシャーズ・ジャパン版が1989年、新日本語版=新紀元社版が2004年。図は新日本語版のもの。
Apple Human Interface Guidelines(日本語版)』の表紙。原著が1987年、旧日本語版=アジソン・ウェスレイ・パブリッシャーズ・ジャパン版が1989年、新日本語版=新紀元社版が2004年。図は新日本語版のもの。
Maurits Cornelis Escher『Drawing Hands』(和名:描く手) 出典:Wikipedia
Maurits Cornelis EscherDrawing Hands和名:描く手) 出典:Wikipedia

過去のHIGに目を向けると、当初から “Design principles”(デザイン原則)に言及してきたことがわかります。1987年版では次の10原則が掲げられていました。

  • 比喩の使用 (Metaphors)
  • 操作の直截性 (Direct Manipulation)
  • 見たものを指示する (See-and-Point)
  • 一貫性 (Consistency)
  • WYSIWYG (What You See Is What You Get)
  • ユーザによるコントロール (User Control)
  • フィードバックとダイアログ (Feedback and Dialog)
  • 寛容性 (Forgiveness)
  • 安定性 (Perceived Stability)
  • 美的完成度 (Aesthetic Integrity)

加えて、グラフィック使用の原則として3つ、プログラミング上の戦略として6つの指針も示されていました。

  • 表示上の一貫性 (Visual consistency)
  • シンプルさ (Simplicity)
  • わかりやすさ (Clarity)

  • モードレスオペレーション (Modelessness)
  • イベントループ (The event loop)
  • 操作の取り消し (Reversible actions)
  • スクリーン (The screen)
  • 表現の明確さ (Plain language)
  • ユーザーによる試用テスト (User testing)

これらはおよそ40年前に示され、現在でもほぼ有効な原則・指針です原則」はそう変わるものでもありませんから、デザインとして不変である部分を知ることは、これからのデザインにとっても非常に価値のあることだと考えます。

それを裏付けるかのように、これらのうち6つの原則は2017年のiOS HIGにも記載が残っていました。当時のHIGには「iOS Design Theme」と「Design Principles」のページがあり、1987との精神的なつながりを感じることができていました。ただ、2018年の更新でこれらの言及が完全になくなってしまい(macOS HIGでも2017年にデザイン原則の章が削除)、HIGの精神が直接的には見えづらくなってしまっていたのがここ9年ほどです。

iOS HIG (2017)の「iOS Design Themes」と「Design Principles」の記載。 http://developer.apple.com/ios/human-interface-guidelines/overview/themes/ のアーカイブ。
OS X HIG (2016)の「Design Principles」の記載。 http://developer.apple.com/library/mac/documentation/UserExperience/Conceptual/OSXHIGuidelines/DesignPrinciples.html のアーカイブ。

デザインフィロソフィー

ところで、1987年版よりも前に「1986年版HIG」が存在していたことがあります。これはベータ版として書かれたものなので正式な1987版とは表現がだいぶ異なっていますが、開くとまず “Chapter 1: Design Philosophy” から始まり、最初の節で “The Roots of Apple’s Desktop Interface”と題して、Appleデスクトップインターフェイスの起源についての略歴が表明されます。1960年代のSRIDouglas Engelbartら)が発明したマウスの基本形、Xeroxが手がけたStarSmalltalk、そこからApple LisaそしてMacintoshに続く歴史が述べられています。Macのルーツは1984ではなく、はるかそれ以前の偉大な先人たちの発明から脈々と続いている末端にあることを端的に示し、敬意を表していたのです。

Human Interface Guidelines Second Beta Draft” より “Design Philosophy”。
文書はJohn GruberWebサイト daringfireball.net 等で見ることができます。

私はこのくだりが好きだったのですが、残念ながら1987版ではApple Lisa以降の言及に留まり、ルーツに関してはぼかされてしまっています。

HIG(1986)の第一章ではそれに続いて “The Spirit of the Interface” の節が連なります。和訳すると「インターフェイスの精神」でしょうか。ここで今日のデザイン原則への言及が行われているのですが、“Spirit”という言い回しが良いですね。これらの事柄は精神であって、誰かに言われて従うルールとは性質が異なるのだ、と表明しているようにも読めます。

HIGデザイン原則が復活

WWDC26は例年よりも地味に感じましたが、方向性としては良かったと思っています。OS 26で多くの議論を呼んだ新しいインターフェイスも、OS 27ではだいぶ手入れがなされた印象ですし、2026年はSnow Leopardならぬ “Snow Tahoe として軌道修正され始め、ひとまずは安心できています。

2026年6月版のHIGでは、長く欠けていたデザイン原則への言及が9年ぶりに復活しました。これまで不完全な状態であったHIGがようやく本来の姿を取り戻したかのような印象です。この間なぜデザイン原則への言及を削いでいたのか、そして今回それを復活させる判断に至ったのかの核心はよくわかりませんが、とにかくそれを復活させたことは肯定的に受け止められます。

HIG 2026版のデザイン原則は次のとおりです:

  • Purpose(目的)
  • Agency(主体性)
  • Responsibility(責任)
  • Familiarity(親しみやすさ)
  • Flexibility(柔軟性)
  • Simplicity(シンプルさ)
  • Craft(細部にまで配慮)
  • Delight(人間らしい喜び)

※ 公式の日本語版HIGがまだ未更新であるため、和訳は私による独自のものです。今後公式の表現に合わせる予定です。

各原則の意味は新しいHIGやセッションビデオ250Principles of great design” で解説があります。本稿での細かな言及は省きますが、基本的には過去のデザイン原則を踏襲しながら、新しい表現と視点を導入する形でのアップグレードとなっているようです。セッションビデオをチェックすると、過去にもよく見聞きした“Forgiveness”の言葉や、“User Control”に類似した概念が現れるので、過去のデザイン原則からの連続性があるものと見て良さそうです。

新原則(2026)旧原則・指針(1987)
Purpose
AgencyUser Control
Forgiveness
Feedback and Dialog
Modelessness
Reversible actions
ResponsibilityFeedback and Dialog
Perceived Stability
Clarity
FamiliarityMetaphor
Consistency
Visual consistency
Clarity
FlexibilityDirect Manipulation
WYSIWYG
The screen
SimplicityMetaphor
Consistency
See-and-Point
WYSIWYG
Simplicity
Clarity
Plain language
CraftAesthetic Integrity
Perceived Stability
DelightAesthetic Integrity

旧原則・指針が新原則に対応するという包含関係だけが重要というわけでもないのですが、もしそこに着目するとしたら、概ね上記の表のような関係になるだろうと思います。新原則の“Purpose”と“Delight”、それから説明中で言及のあった“Privacy”などは新しい視点の導入のように感じられた一方、旧原則の“WYSIWYG”や“The screen”は現代においてはもはや原則として掲げる必要のない前知識になっているようにも感じられました

HIGに書かれている大部分は、Appleプラットフォームでのアプリ開発で使うルールブックです。Appleのソフトウェアで使われるコントロールやコンポーネントの使い方と基本ルールを言語化したものであり、Apple系各OSのUIフレームワークとも密接で、実装と表裏一体、Appleのデザインシステムの一部を構成するものです。WebデザインやAndroidアプリ開発などの非Appleプラットフォームの文脈でHIGを紹介する方がいますが、抽象概念を除いてあまり参考にはならないはずです。ニールセンのユーザビリティ10原則のような応用方法を期待するのではなく、Appleプラットフォームのためのガイドラインという位置付けで見るのが正しい姿勢です。

ここにデザイン原則が加わることで、それらの具体的なルールの背景にある意図や、その解釈の仕方を知るための「視点」を得ることが容易くなります。こうして初めて一つの「デザイン」が成り立つのだろうと私は考えます。デザインフィロソフィーのない文書はデザインの一部ではなく、その外部に置かれたただの説明書です。プラットフォームを指定しているならより限定的です。製品説明書のようなもので、PlayStationに付属の書類ならばNintendo Switchには有効ではないことは誰にでもわかります。しかし、ゲームの設計哲学だとか、コンテクストを俯瞰する視点からの言及であれば、プレステとスイッチが重視するコンセプトとその違いだとか、さらに前提となる部分である「ゲームとは何か」を問いかけることが可能になるわけです。

要するに、デザインフィロソフィーこそがデザインの足がかりで、それをデザインたらしめる最も重要な基本要素の一つだということです。具体的なルールは実装に合わせて後から修正や補完が可能だし、フィロソフィーに一貫性があれば、その実装解釈を変えることも大きな問題にはなりません。しかし、フィロソフィーを見失ったデザインはうまく成り立たないでしょう。コントローラーのボタン配置だとかレンダリング性能云々といったスペックに固執してしまい、ゲームとは何であるのか、なぜ作るのか、を問いかける視点を持てなくなるからです。デザイン文書からデザインフィロソフィーを削いではならない理由はここにあります。

したがって、WWDC26でアップグレードされた新しいHIGを私は歓迎いたします。

未来のAppleプラットフォーム

WWDC25では新デザインの「統一デザイン言語」の意義を掲げていましたが、今後もAppleプラットフォームはその方向で少しずつ統合が進んでいくのだろうと見ています。これはAppKitUIKitを廃してSwiftUIに移行していく、というようなスペック上の話ではなく、既存のデザイン(実装を含む)を機能させながら新しい基盤に入れ替え、次の変革に備えること。都市の再開発と同じで、運用しながら新しい構築物を建てるための環境構築の一環なのだと理解しています。

2025年からは各OSのバージョン記法が揃ったので、もしかしたら近いうちに “AppleOS” と名前を変えるかもしれません。初期のMacintoshに先祖返りして「System <NUMBER>と名乗ってみても良いかもしれません。その兆候の一つとして、WWDC26で明らかに様子が変わったところは、基調講演で各OSの縦割り構成を取りやめたことです。ほとんど全てのトピックは、断りがない限りはどのOSにも共通の話題として扱われていたし、iOSmacOSの話がインターリーブ式に入り組んでいた印象があります。

中でも印象的だったのは、これまでSwiftUIAppKitUIKitのラッパー、DSL的な立ち位置と見られていたのが、SwiftUIの方が基盤側に食い込んだことです。SOTU内で示されたアーキテクチャによると、Apple社内ではObjective-CやCで書かれた多くの内部実装をSwiftに移行し始めていて、その一環でAppKitUIKitの一部でもSwiftUIを利用し始めたそうです。

WWDC26 “Platforms State of the Union” 37:20 付近 https://developer.apple.com/jp/videos/play/wwdc2026/102/?time=2217
WWDC26 “Platforms State of the Union” 37:20 付近 https://developer.apple.com/jp/videos/play/wwdc2026/102/?time=2217

Appleのシステム進歩の面白いところは、大局ではただ何かを廃して新たなものに置き換える方法を取るのではなく、古いシステムと新しいシステムを相互運用させながら、少しずつ統合度合いを高めていく方法とることにあります。SwiftUIの方が「モダン」なので、てっきり太古のシステムであるAppKitは非推奨ラベルが付くのかと思いきや、AppKitにも新しいデザインを適用して、相互運用可能な状態で持続させていっているのが実情です。

未来にはAppKitUIKitが使われなくなる世界もあるのかもしれませんが、それはOS単位で全く新しいシステム/デザインが登場する時でありましょうから、少なくとも現在のアーキテクチャの先にピュアSwiftUIの世界は無いと見ています。

Footnotes

  1. Mac OS X 10.6 Snow Leopardをもじった表現。Snow Leopard10.5 Leopardからの新機能追加が0個であるとアピールされ、安定性の確保に注力したバージョンでした。

  2. 1987年当時は、スクリーンと入力装置を使った「GUI」という概念自体がまだ新しく、旧来のコマンドラインインターフェイスとの違いを強調する意義もあっただろうと推察します。

  3. 私はVision Proがその刷新時期だったのではと思っていましたが、蓋を開けてみたらUIKit/iOSの延長だったため、この見立ては外れました。